2009年の日記


◆ 20091226 「宇宙戦艦ヤマト復活編」

あのヤマトが帰ってきました。物語の中にたくさん詰め込まれた”矛盾”をつっこめる部分が、美味しくてたまらないシリーズです。きっと今回も。・・・とワクワクしながら劇場に行ってきました。

案の定”矛盾処”はたっぷりありました。いやぁー。十分に楽しめました。

◎ これまでも気になっていたヤマト艦載機の数。今回は更に大形の重爆撃機も含め50機程度は搭載している模様。更に潜水艦のようなミサイル艦も艦首下部にいつの間にか搭載。そして前面、側面、煙突から超多数の攻撃用ミサイルやバリアミサイルをいつものように連射していました。宇宙戦艦ヤマトが第二次世界大戦の大和と同じ大きさだとすると、どうやってこれらを艦内に格納できるのか?ありえねーよな絶対。

 ->いやいや、こんなこともあろうかと思い物理圧縮機を開発していて、実物の1/10で格納していたんですよー。(真田さん談)

◎ SUS国はん、あんなに簡単に次元移動できるんなら、ヤマト艦橋内にミサイル1発出現させれば簡単に勝てるのに何故やらないんだろう?それからSUS国代表のメッツラーはん、敵に向かってペラペラしゃべりすぎじゃ?言わなきゃカスケードブラックホールの正体もバレなかったのに・・・。多国籍軍を統率する連合の議長なのに。ありえねーよな絶対。

 ->いやいや、SUS国も実はエトス星のような武士道精神があって、己の全てを知らせて正々堂々と戦う習わしがあるんですよー。そうかっ、ヤマト艦橋内にミサイルかっ!気付かなかった。やれば 良かったっ。(おバカなメッツラー談)

◎ 真空の宇宙なのに、被弾した艦からもくもくと煙が・・・。(これはお約束だったか)

 ->こうしないと戦いの雰囲気が出ないんじゃよ。すまんのう。解かってくれ。(佐渡先生談)

◎ 爆発による破片と爆風により瀕死に近いはずなのに、何故か綺麗なフルヌードの雪38歳。

 ->いやいや、あれは私が3年もほったらかしにしていたので、うっぷんがたまっていたんですよ。絶対わざとです。人気が美雪ちゃんやら真帆ちゃんに移りつつあるから、アピールしたかったんです。 多分どっかで生きていますので、ご安心ください。(古代談)

つっこみ処を先に述べてしまいましたが、メカデザインには興奮しました。地球軍を含めて6軍、それぞれ特徴があり印象的でした。戦闘シーンはスピード感があり、一般家庭にある”おとーさんの苦悩”も描かれ 、笑えました。ああっ、古代君もおとーさんだっ。

これまで以上の壮大なスケールのバックグラウンドに加え、生活間も同居した内容。観客が少なかったのが残念でしたが、是非制作続行して第2部を完成させてくださいね、西崎さん。 雪はどうなったんだろう・・・。


◆ 20091221 「どっちが貴重?」

「”@15分間の束縛されない時間”か”A500円のお金”どちらかをもらえる」という選択肢があったとします。あなたならどっちを選びますか?

      ヌマタイガー「あーーーはっはっ!そりゃたった15分なんだから500円もらうさねーーー!!」

「”B15分拘束された時間”か”C500円のお金”どちらかを提供しないといけない」という選択肢があったとします。あなたならどっちを選びますか?

      ヌマタイガー「あーーーはっはっ!500円払うんだったら、そりゃ15分待ちますわねーーー!!」

皆さんはどっち?


◆ 2009114 「お客さんが少ないカラオケ屋にて2」

とりあえず3時間ビール飲みながら弦楽器の録音を開始しました。いつもながら緊張感マイナス100みたいなレコーディングです。あーはっはっは。音楽やるならこうでなきゃ!しかし飲んでるのによく弾けるなぁーフレディってば。

こうして弦楽器(ギターとベース)の録音を終え、今回制作する曲の”いわゆるカラオケ部分”まで出来ました。あとはフレディのボーカルとコーラスなのですが、もうこのカラオケ屋では時間いっぱいです。

結局マイクを使うボーカルは、繁華街で混んでいるカラオケ屋に移動してのレコーディングとあいなってしまいました。以前レコーディングした時も、隣のカラオケ部屋で歌っていた浜崎あ○みさんのすばらしき歌声を拾ってしまいたしたが、今回もボーカル録音中に隣の部屋から漏れてきている女の子の歌声も一緒にレコーディングでしゅ。一般的にはボーカル録音で他の音が漏れてくる状況でのレコーディングは絶対あり得ないのですが、まーこれも一興ということにしましょうやね。<-すまん。

しかしながら我思うに、フレディは十分すぎる声量があるので他の音が混ざっていたとしても、それを反響音のようにはじき返すことができ、最終的にはかえって臨場感たっぷりの曲になったりなんかしち・・・・。<-ううう、こりゃもっと一般的にはありえないかな?

ということでレコーディングは完了し、2曲入りのCDは完成しました。めでたしめでたし。はうっ。


◆ 2009113 「お客さんが少ないカラオケ屋にて」

久しぶりにオリジナル曲のレコーディングをやりました。フレディ作の原曲が良かったので、今回はあまり手を加えずデモ曲とほぼそっくりに完成させようというコンセプトで臨んでみました。ドラムとシンセサイザー部分をあらかじめ録音しておいて、いよいよフレディの弦楽器とボーカルのレコーディングとなりました。

レコーディングってば一つのパートを納得いくまで繰り返すので、時間がかかります。今回は2曲合計7パートなので徹夜で6時間くらいかかる見込みでした。夜10時頃集合してお客さんが少なかろう場所にあるカラオケ屋に。(マイクが隣部屋の音を拾ってしまうので、レコーディングの時はお客さんが少ないカラオケ屋を選んでいます。)

何故レコーディングをカラオケ屋でやるかって?そりゃ6時間もかかるのにスタジオじゃビール飲みながらできないもん。

こうして、お客さんが少ないカラオケ屋に到着しました。とりあえず4時間にして、終了しなかったら延長すればいい。

ヌマタイガー「4時間お願いします!」

カラオケ屋の店員「あのう、当店は1時で終わりなんですけど・・・」

ヌマタイガー&フレディ「・・・・」


◆ 20091031 「九州時計回り1周その5」

4日目夜。日記タイトルは九州時計回りとなっていますが、もはやここは本州広島です。宿泊地であるビジネスホテルに行ってみると、オーストラリアの高校生だらけでした。ちょうど自由時間らしく、エレベータやフロントはオーストラリアの高校生でいっぱい。日本語を話せる子も何人かいるので、日本人と話がしたくてしょうがないみたい。部屋の同じフロアにも高校生の部屋があって、少しでも物音を立てるとドアが開いて、でかい声の日本語で話しかけてくるのである。案外日本語は堪能だった。シドニーから修学旅行で来ているとのこと。あーしかし、こいつら元気ありすぎ!

とゆーことで、この夜は彼らが来れない赤ちょうちんでビールやっつけて早めに就寝。翌日は広島港、江波、宇品、宮島などを経由して夕刻に東京へ向けて出発しました。

最終日って面白い写真があんまり無かったのですが、こんな路面電車が走っていました。路面電車版オープンカーです。

九州時計回り1周 Fin


◆ 2009109 「九州時計回り1周その4」

4日目早朝。宿を出ると大粒の雨でした。あ〜あ。それでも長崎市内や浦上を巡りましたが、これといった写真は撮れず、浦上駅から佐世保に移動しました。佐世保からは2本のレール上を走る一般的な鉄道で日本最西端を走る松浦鉄道で長崎県北西部の海沿いをくるりと一周。

そんな松浦鉄道にこんな駅がありました。無人駅なのですが「大学」駅です。他県から来た人にとっては分かり辛いですが、付近に長崎県立大学があるから、この名前になったそうです。本当は「長崎県立大学前駅」とかが妥当なんでしょうが、ジモティーにとってはこれで十分な駅名なんでしょうね。

 

しかしそんな単純な駅名にしたおかげで、その入場券が売れに売れているようです。特に全国の大学受験生やらその関係者の方々から。だって”大学に入場”なんですから。そりゃ縁起がよいですねん。

 

松浦鉄道ではこの他にも縁起がいい駅名の「今福駅」の入場券の発行、日本最西端にある駅「たびら平戸駅」のアピール、ラッピング車両の運転など、存続のためのアイディアで頑張っている鉄道です。

そしてこんなおちゃめな倉庫も発見しました。ここは佐々という松浦鉄道の車両基地がある駅ですが、廃車となった車両を半分ちょんぎって、倉庫として有効利用していました。綺麗に再塗装されたその車両の行き先表示板は・・・・

 

↓私はひかり号博多行きですっ!!

 

 

き、気持は分かりますが、そりゃ無理があるんじゃ・・・。このギャグ、九州ってば楽しかですたいっ!よかよか。

こうして九州を後にし、次の目的地広島に向かいました。

4日夜-5日目広島での日記につづく。


◆ 2009108 「九州時計回り1周その3」

3日目の朝5:30。今日はちゃんと起きれました。枕崎漁港の早朝はこんな感じです。

 

この後枕崎駅からバスと電車を乗り継いで、第二次大戦において特攻隊の出撃地である知覧や、出水、熊本に寄って長崎を目指しました。いんやぁー、JR九州の車両って近代的なんだよねー。

 

特に鳥栖から長崎に移動する時に乗った特急かもめ号。デッキの照明も凝っているし、自由席でも座席はまるで社長椅子です。

 

こうして次の宿泊地である長崎に到着。駅前の宿付近から裏道側は坂が多く、アスファルトの道がいきなり階段になっていたり、さすが長崎です。そんな裏道に、いかにも地元なラーメン屋を見つけました。夕食はここに決定!”ネギだらけのネギラーメン”みたいなネーミングのメニューがあったので注文。うはぁー、確かにっ。

 

明日は長崎市内と原爆投下目標地とされた浦上を巡ってから広島に向かいます。

九州4日目の日記につづく。


◆ 2009930 「九州時計回り1周その2」

明日はちゃんと起きれるのかっ?今は3時、出発6時のバスです。ひぃぃぃぃー。

でも奇跡的に5:00前に起きました。んで、窓を開けてタバコ吸って・・・。外は真っ暗。バスが出るにはまだ1時間もあります。んじゃベッドで30分くらい転がっていよう。ゴロゴロ・・・・。

あれっ?いつの間にか外が明るくなっとりますにゃ。時間は?   ----  7:00  ----

んにゃぁ〜ぁ。やっちゃいました。ということで8:00頃出発の次の高千穂行きバスに乗りました。せっかくあの有名な高千穂、秘境の奥地にあり東京から行くにはかなり大変な地域なのに、当初予定時は前日の夕方に到着して1泊するはずだった(宿がいっぱいで予約できなかった)のに、

 

「高千穂滞在たったの25分!」

 

を達成してしまいました。でも延岡での夜も楽しかったし一人旅だから気楽なもんです。

さて、高千穂から延岡に戻って九州東海岸をJR特急列車を乗り継ぎ鹿児島へ向けて南下しました。車窓に鹿児島のシンボルである桜島が見えてきました。車内からでも噴煙がよく観察でしました。

鹿児島市内をちょいと徘徊したら、もう時刻は夕方です。ここから約2時間かけて九州南端の枕崎への移動です。鹿児島から乗った2両編成の列車は満員でしたが、案の定1駅づつ乗客は減り、中間駅の指宿以降といえば。

 

 

あーはっはっ!!この車両占拠だっ!

 

ということで終点の枕崎に到着しました。

 

枕崎駅から徒歩5分の宿で、地図も持っていることも伝えているのに、「暗いから」と言って宿の方が車で駅まで迎えに来てくれました。実は宿に行く前に「車で枕崎のいろんな場所を案内してくれる」ということでした。ありがたいことです。

↓こんな場所に連れて行ってくださいました。

@ まるでミサイル発射基地のような場所。戦車のような車両が強大なミサイルらしきものを積んで、何十両も並んでいる光景。枕崎で日本は巨大なミサイルを多数保有し、戦争準備万端だったのかっ疑惑?こいつには愕然としました。(実は10機の巨大風車を準備している場所だそうです)

A 漁港内部のカツオ水揚げ用ベルトコンベア。港設備の内部まで案内してくれました。日本人が知っている一般的なサカナはここで全て水揚げされているそうです。

B さつま白波本社。若い中国人が2-3年で入れ替わり働いているとのこと。夕食のために自転車で外出している方が沢山いらっしゃいました。

ヌマタイガー「私は地方各地を旅したことがあるんですが、枕は駅前に店もありましたし、人もいますねー。」

車を運転する宿のじいちゃん「うんにゃ、昔から比べると年寄りしかいないよ。」

ヌマタイガー(そうなのか・・・・)

いやぁー、上のAを聞いたら刺身たべたくなっちゃって、宿のじいちゃんに居酒屋に行って夕食を食べたい旨を伝えると、宿のすぐ近くの店を教えてくれました。案の定Bのさつま白波本社がある場所でございました。普段ビールしか飲まないのに、ここでは”さつま白波”を飲むしかありません。

 

ごくごくごくっ!そして、アジの南蛮漬け。むしゃむしゃ。

カウンターの目の前にはこんなやつらもっ。うあっ、目の前に大好物の新鮮半透明な水イカがっ!!うううっ!うまそうっ!

 

特にこの水イカは至福のおいしさでございました。

枕崎に来て予想外の夜の観光と海の幸を満喫したヌマタイガー。”さつま白波”を十分に吸収し時刻は22時。明日も6:00頃のバスで出発予定です。昨日は飲みすぎたために高千穂行きバスに遅刻したヌマタイガー。しかし気分はますます絶好調です。この後港まで歩いてみたり、枕崎の街を徘徊するヌマタイガーでした。

↓そんな徘徊中にヌマタイガーが撮影したと思われる枕崎の街並み。

明日も早いんだぞ。大丈夫なのかっ??

九州3日目の日記につづく。


◆ 2009925 「九州時計回り1周その1」

シルバーウィークは休みはあるものの、前回の日記の後結局鉄道での津軽・下北・函館周回ツアーは指定席券が入手できず、代わりに新幹線自由席で行ける九州時計回り1周+広島ツアーに出かけました。

急遽作ったプランはこんな感じです。

9/20 東京->門司港->延岡

9/21 延岡->高千穂->鹿児島->枕崎

9/22 枕崎->知覧->熊本->長崎

9/23 長崎->佐世保->広島

9/24 広島->東京

--------

まずは小倉経由で門司港へ。新幹線での品川出発は6:00でしたが、到着は昼です。昔の貨物線を転用した観光用トロッコ列車で”めかり”へ。”めかり”は関門海峡大橋付近にあり、関門トンネルや昔の砲台を見学できる場所です。そんな”めかり”の一角でかつて関門トンネル区間で富士号などのブルートレインを牽引していた”ステンレス製交直流両用電気機関車EF31”も静態保存されていました。

 

今回は九州時計回り1周ですので、門司港の次は九州東海岸沿いを延岡までひたすら南下です。ようやく夕刻に延岡に到着しました。

↓ここ夕刻の延岡駅アルヨ。もう夕刻なので真横から太陽当たってるアルヨ。

一旦宿にチェックインしてから、いよいよ徘徊開始ですっ。出発前4:00頃から何も食べていなかったので、駅から宿まで行く間に見つけておいた居酒屋にGO!

しかしながら入る前はちょっと緊張します。どこに行っても初めて入る店ですので、おっかない店だったらどうしよう・・・とか考えてしまいます。

そして入店。

 

 

ドーンドコォーン!ドーンドドーン!

 

 

ひっ!うわわぁっ!こりはなんじゃぁ?

 

 

 

 

ヌマタイガー「うわわっ、この太鼓って」

店のおっちゃん「御客さんいらっしゃいっていう太鼓なんだ」

ヌマアイガー「いきなりだったんで、びっくりしましたよー」

店のおっちゃん「これは祭りでも使っている由緒ある太鼓でね」

この後勘八さし(他)でお腹を満たした挙句、由緒ある太鼓までも叩かせてもらいました。ドコーン!

熊本から来た高校生の息子がラグビー大会予選に出るからこのお店に来ていた、親ばか軍団とも仲良くなりました。明日予選があるらしいけど私の日程的には無理ですねん。

そして23時頃、ビール4杯+勧められた焼酎2杯で更に気分が高揚したヌマタイガーは、店のおっちゃんから聞いた昔ながらのスナックへ。スナックなのに会計はたった1000円でした。

ここまでは私が当初思い描いていた九州ツアーの日程でした。

しかし1000円スナックのお客さんで来ていた地元女性2名と意気投合してしまい、次の店に行くことにっ!ネットではお見できませんが写真はだいぶ撮っていたので、楽しい思い出になりました。

終わったのは、たぶん3時頃です。延岡発のバスは6:20発車です。地元女性2名にホテル前まで送っていただきました。

ホテルには到着したよっぱのヌマタイガー。明日はちゃんと起きれるのかっ?今は3時、出発6時のバスです。ひぃぃぃぃー。

九州2日目の日記につづく。


◆ 2009916 「シルバーウィーク」

いよいよ近づいてきましたシルバーウィーク。血が騒ぐ「大形連休」です。今回は以前から延期延期になっていた津軽・下北・函館周回ツアーに出る計画を立てています。 いつもながら現地で雨が降っていては行きたくないので、天気予報の週間予報で概ね曇りか晴れならチケットをおさえます。

以前から何度もこの計画は立てていたのですが、行きの寝台特急”あけぼの”のB寝台が満席でチケットが取れなかったこと2回、雨のための計画中止2回。今回は台風が近づいている情報もあったのですが、現地は曇りか晴れのようです。そして”あけぼの”はどうせ満席だろうから、行きは本数が多い東北新幹線に変更したプランです。5回目にして夢叶うかもしれません。

とゆーことで、会社帰りに”しながら駅”で指定券付きの格安フリー乗車券を購入しようと、鞄の中に指定席第六順位までのターゲット列車をメモした付箋紙を忍ばせて出社しました。やるべき仕事が終わって「お先にっ」と職場を後にして”お先に駅”から指定券が買いやすい”しながら駅”に向かいました。

こうして”しながら駅”に到着して、いつものように改札を抜けました。

 

しまったぁっ!!!

 

いつものように景品電車への乗り換え改札を抜けてしまいました。しかも自宅方向へと動き出した景品電車に乗っちゃっていました。今日はいつもの乗換改札じゃなくて、一旦駅の外へ出て チケットをゲットするはずだったのですが・・・・。もう”しながら駅”までわざわざ戻りたくありません。

 

ちくしょーーーっ!!!

 

<-  「バカ」  くろかば4号談


◆ 2009915 「舛○要一」

かつて知人曰く。「ヌマタイガーって自民党の舛○要一に似ているよなー。」

この発言を聞いてヌマタイガー思考する。(んんっ?そうかなぁ?似ているのは東武東上線だけだと思うんだけどなぁー。)

↑このおバカなたった2〜3行だけの日記で笑えた方は、きっと私をよくご存じの方かと・・・。


◆ 2009818 「バレた」

今日の会社喫煙ルームでのことです。

毎日のことですが始業前に会社に到着し、自席のPCの電源を入れて、立ち上がる前に一服タイムです。

私の会社の従業員数は比較的多いので、他部門の方との認識はあまり無いのが実情ですが、喫煙ルームだけはいろんな部門の方との交流場になっています。スパスパとタバコを吸いながら、同じ喫煙ルームにいる仲間はリラックスした話をすることがよくあります。

今日は一緒にいた他部門の某課長がこんな話をしました。

某課長「ここ最近夏休み時期なのに、ここでよく会うよな。」

ヌマタイガー「地元が東京なのでお盆で休む必要が無いんですよ。」

某課長「おおっ、シティボーイなのかっ!!」

ヌマタイガー「・・・・・(回答に困る)」

ヌマタイガー「課長はご出身は?」

某課長「一番知られていない島根県松江。」

ヌマタイガー「あー、宍道湖がある場所じゃないですかっ!」

某課長「むむっ!?」

ヌマタイガー「それに”ようかん”って読む駅もありますよねー!漢字が難しくて読めなかったんですが、笑いました。」

某課長「それは知らんな。」

ヌマタイガー「出雲大社から2-3キロ手前にある駅ですよー。」

某課長「????JRの駅かい?」

ヌマタイガー「いや、一畑(いちばた)です。」

某課長「普通”いちはた”と読んでしまうものだが、”いちばた”という読み方を知っているとは・・・まさか」

ヌマタイガー「日本全国各地方には行ったことがありますので、知ってるだけで、」

某課長「鉄っちゃんだ!」

 

ということでひた隠しにしていた鉄オタクがバレちゃいました。某課長言うには、○○さんと▼▼さんも私と同類らしいです・・・・。ああっ、どうしよう。


◆ 2009811 「人車鉄道」

かつて人力車が主流だった明治時代に人車鉄道といふものが考えられたそうな。

「人力車を砂利道で引くより、滑らかなレールに鉄っぽい車輪をかみ合わせれば摩擦が少なくて、引くには楽ちんです。」という発想です。

しかしこれは引く人にとっては楽ちんではなく、2人乗りの人力車が6人乗りの人車鉄道になっただけで、3人程度で押していたそうです。しかも急な坂道では乗客と一緒に車両を押したそうな。んで、乗客が押さなくて良い4人乗りの上等車両が倍額で登場したそうな。これって、今で言う普通列車と特急列車の違いのようなものです。

ちなみに当時一番メジャーだった小田原-熱海25.3kmを結んでいた豆相人車鉄道の所要時間は4時間弱だったそうな。時速7キロ程度です・・・。


◆ 2009727 「河口湖2」

富士見台から下山し河口湖周辺を散策してみました。

 

水辺はあるものの、釣り客ばかりで足をじゃぶじゃぶできそうな場所はありません。つーか、川底が汚にゃい。

ロープウェイ乗り場から河口湖駅へのバスは1時間後にならなければ来ないので、またまた30分かけて徒歩で坂道を登りました。タオルに吸い取られた汗水は120%になりました。

こうして河口湖駅へ戻ると、ちょうどフリー切符で乗り放題の西湖周遊レトロバスが到着したところでした。西湖には「コウモリ穴」という観光スポットがあります。冷房車だし、こりゃちょうどいい。

バスは河口湖を抜け、青木ヶ原にある「コウモリ穴」に到着しました。

フロントの自動販売機で入場チケットを買って、自動改札を抜けたところで後ろから突然声が!

おばば「おい、あんた?」

ヌマタイガー「ひゃっ!びっくりした」

おばば「あんた、そこへ行くのかい?」

ヌマタイガー「へっ?」

おばば「あんた、これを持ってお行き」

おばばに渡されたのは工事用の形をしたお馴染みのヘルメットでした。

「コウモリ穴」のフロントがある入口からコウモリ洞窟の入口までは青木ヶ原樹海の中を5分程度歩きます。ヘルメットをぶら下げてテクテク歩きました。青木ヶ原樹海ってたしか自殺の名所だったよな・・・。遊歩道をそれたら方向が分からなくなりそうだ。

そんな青木ヶ原樹海をしばらく進むと、ありましたありました。これがコウモリ穴の入口です。なにやら白い冷気のようなモヤモヤが洞窟内に見えます。

入ってみました。うおおおおっ!この涼しさってまるで「空調が強めの百貨店」ですっ。こりゃいいっ!

コウモリ穴の内部はまるで迷路のようになっていました。広い空間が何か所かあって、それらが複数の狭い岩盤トンネルによって繋がっていました。蟻の巣のようです。

大分奥深く進みました。下の画像は狭い岩盤トンネルの図。写真では大きさが分かりませんが、腕立て伏せの体制にならないと進めない狭さの横穴です。暗い上に岩盤全体が冷気で濡れていて、進むにつれ上下左右から岩盤の突起も攻撃してきます。おばばのヘルメットが無ければ正直進めませんでした。小さな子供ならともかく、こりゃ結構無理です。進むのは良いけど帰れるのかな?狭い岩盤トンネルは結構長い区域もありました。岩全体が濡れているのでホフク前進もやりたくありません。

そんな苦労の後、かなり奥の方でやっと広い空間に出ました。

すげー!地底湖があるのかっ??

もしやここは地底湖なのか?とも思いましたが、濡れた岩でした。岩が波打つ水面のような形になっていました。正式には縄状溶岩と呼ぶようです。(たぶん)

地底湖もどきにちょっと感動して、更に奥地に進むとこんな「開かずの扉」がありました。ここから先はコウモリ保護区域です。看板の案内にも「できるだけ、お静かに、お願いいたします!」との記述がありました。昼間コウモリはこの奥で熟睡しているそうです。ここが一般人が入れる最奥地です。

この後どうにか洞窟を脱出、樹海の遊歩道で更に先に延びる道を見つけて進んでみたら、何故かコウモリ洞窟の入口に戻ってしまったという怪現象がありましたが、無事生還できました。

河口湖日記Fin。(洞窟内での写真はすべてフラッシュ無しで撮影したものです。)


◆ 2009726 「河口湖1」

だいぶ暑くなってきました。秋に河口湖に行った時、東京と比べてものすごく寒かったことがありました。東京より標高が高いため、夏場ならちょうど良いくらいに涼しいであろうと思い、河口湖へ行ってきました。

河口湖駅に到着しました。

ううっ、ここまで来ても暑くてたまりません。標高もある程度高いのに直射日光付きジリジリ32度くらいです。秋に来た時はあんなに寒かったのに・・・。でも東京からの河口湖・西湖フリーきっぷは周辺のバスとロープウェイに乗り放題です。ロープウェイでは富士見台に登ることができます。富士見台なら標高が更に高いはずなのできっと涼しそうです。展望台があるらしいので、カチカチ山で冷たい蕎麦でも昼食にとも思いました。

そしてロープウェイ乗り場まで徒歩で坂道を下ること30分。タオルを首に巻いても、もう汗水100%です。

ありましたロープウェイ乗り場。

非冷房のゴンドラ、たぬき号が私を待っていました。しかも「索道のオイルを塗り替えたばかりなので前面の窓は開けないでください」との表示が・・・。上にい行けばきっと涼しい。展望レストランの冷たい蕎麦が待っている。ここは我慢をせねば。

 

動き出したゴンドラ。すぐに河口湖ははるか眼下です。

そしてロープウェイは富士見台駅に到着しました。ここでは裾野からの富士山が一望です。

 

ああっ、しかしここでも直射日光付きジリジリ32度くらいの体感は変わりませんでした。更に期待していたレストラン、というよりお店すらありませんにゃりーー。

今度は水辺が恋しくなってきました。河口湖畔まで降りれば湖面に足をジャブジャブできる場所があるかも知れません。そんな場所でビールでも飲みながら露天販売とかの昼食って魅力的です。

涼しくなるには下山だっ!こうしてカチカチ山の富士見台滞在30分で下山したヌマタイガーでした。

続く。


◆ 2009723 「ちびとたま」

この三毛ネコは私が愛する「ちび」です。

この三毛ネコは「たま」です。「ちび」と似ているけど右目の部分が黒く鼻がピンク色をしているので別ネコです。

「ちび」は昼間ふかふかの座布団の上やカゴの中で寝ているだけです。

でも「たま」は「スーパー駅長」の称号を持ち、昼間は駅長の仕事をしています。

そして「たま」はその功績により和歌山県知事からこんな表彰状までもらっています。

 

それでも「ちび」は昼間ふかふかの座布団の上やカゴの中で寝ているだけです。ライバル心は全く無いようです。

むにゃむにゃ・・・。まぶしいにゃん。


◆ 2009720 「函館市電」

ここは函館市内です。カラフルな市電がひっきりなしに運行されています。函館に観光に行った時は600円の市電1日乗車券を買っておくと、とっても便利です。一番安い区間は200円なので、3回以上の乗車で普通に乗るより安くなります。

特に都電に乗り慣れた東京の荒川区、北区、文京区にお住まいの方が初めて函館に観光される場合、買っておくと何かとよろしいかと思います。

都電に乗る時のように電停でつい前の方に並んでしまうかもしれませんが、ここでは後ろ乗りです。ですので前乗りでSuicaをかざそうとしたり、小銭が無いからといっていきなり前乗りで1000札を持って両替をしようとしてもダメです。ここでは後ろから乗って、まず整理券を引っこ抜いて、番号を覚えて、降りる前に車内にある運賃表を確認して、ちょうどの小銭が無い場合、車内の両替機で小銭をそろえて置くのがマナーです。でも、この600円の券を持っていれば、前から乗ろうとしちゃうことはあるかも知れませんが、前述のことは発生しません。

それから都電と違ってこんなミステリーもあります。

同じ電車でも見る角度でこんなに違うことがあります。青い電車と赤い電車。同じ電車だとは思えません。

 

同じ電車だとは思えませんが、はっはっは。手品でした。


◆ 2009710 「ウルトラサイダー」

シュワッとラムネ味!12種類もあるらしい・・・。長野県の井上という桃を栽培している農村で見つけました。怪獣が地球を襲うことが無くなったので、最近のウルトラマンは地方経済を発展させるための仕事をしているようですね。東国○知事みたいだ。


◆ 2009年6月26日 「明日の予定」

明日から岐阜の西濃鉄道の2回目の取材に行ってこようと計画を立てていました。せっかく岐阜に行くんだから名鉄2日フリーパスを使って愛知県をぐちゃぐちゃ移動しまくった挙句名古屋あたりで1泊して、ちょい近い山岳部の恵那やら、海に近い浜松、静岡にも寄って帰るつもりでした。月曜日は会社に休暇申請をしてあるので、よくある”突然もう1日現地で宿泊したいっ”にも対応できるようにもしていました。

でも2日目の日曜日はどうやら雨水60%のようです。ああっ、残念。

ということで明日は大月経由でフジヤマに行くことにしました。富士急とロープウェイに乗って、いつも会社の高層フロアから遠巻きに見ているフジヤマとやらを間近から撮影してやろうと思います。ふふふっ。


◆ 2009年6月19日 「電車が乗る」

一般的に電車は乗り物ですが、電車が乗る乗り物もありました。これはトラバーサと呼ばれる列車の横移動装置です。前回の日記はバスのターンテーブルでしたが、今回は鉄道車両を横の線路にワープさせるすぐれものです。

使い方はこんな感じです。どこからとも無くトラバーサに電車がのっかります。

 

パンタグラフを下げると、トラバーサは”ぐおんぐおんっ”と音を立てて、なんと横に電車を移動させます。

 

ぐおんっ!・・・・だいぶ遠くで止まりました。

電車はパンタグラフを上げ、人目をはばかるかのように、どこへともなく去って行きました。

 

もしかしたら、自走できない電車の気持ちとしてはふがいないのかも知れません。でも トラバーサに乗った電車に乗ってみたいです。


◆ 2009年6月14日 「らくちんなバスの方向転換」

鉄道で日本一位、世界二位の急勾配区間を抜けた箱根登山鉄道終点の強羅。ここから大涌谷、芦ノ湖方面へ行くには更に勾配が急になるため、ケーブルカーに接続しています。つまりこの地は鉄道を施設できる限界点である急傾斜のど真ん中にあるわけです。山の中ですから当たり前ですけど・・・。

そんな強羅駅、日本有数の温泉地箱根の拠点の一つですから、いつでも外国人を含め観光客ばかりです。駅前はほとんど人だかりなのでバスすら入れません。そしてロータリーを作れるような広い平地はありません。だって山の中ですから・・・。

そして、人知れずバスが強羅駅裏で、こんならくちんなターンをしているのを目撃してしまいました。

うぃぃぃぃーーん。

 

こらこら、あんた蒸気機関車じゃないんだからぁ−。

 

すぐにくるっと半回転して、バスは逃げるように立ち去ってしまいました。


◆ 2009年6月11日 「指差呼称」

今日の日記は前回までの四国予土線編の翌日、本州へ帰る時のお話です。

本州に戻るために瀬戸大橋を渡るので、岡山行きの特急を直前でわざわざ降りて快速マリンライナーに乗り換えました。この区間から四国内特急乗り放題の周遊券フリー区間から外れてしまうことと、特急の座席では最前列からの景色が見えないからです。

快速マリンライナーで座った場所はもちろん1両目の補助シートです。この座席はグリーン車以上に楽しめます。運転席直前にあり、ダイナミックな瀬戸大橋を渡る様を運転席気分で体感できるからです。

そんな補助シートに座りながらワクワクしてきました。画像で2つ見える左側信号の赤色は四国の松山方向、青色の右側は本州瀬戸大橋方向です。もうすぐ瀬戸大橋です。マリンライナーは右側に向かいます。

運転手さんのしっかりした「進行ーーー!!!」の信号確認の声も大きくなります。しかもこの運転手さんが幾度も行う指差呼称のシルエットがたまらなく格好良いです!一人きりで運転しているし、運転席では上司や同僚とかが監視しているわけでもないのに、声と動作を忠実に、ちゃんと乗客の安全のためにやっていてくれているんですよー。

そして高松方向、松山方向からの高架線が合流していよいよ瀬戸大橋へ。

運転手さんの大声での「進行ーーー!!!」の指差呼称です。あんまりこの運転手さんの指先が格好良かったのでアップで撮ってみました。画像では”的確に瀬戸大橋を指している”ようにも見えますが、指先は右側にある路線正面の信号を指しています。

こうしてマリンライナーは安全に瀬戸大橋を渡りました。

 

ああっ、2009年4月28日の午後にマリンライナーを運転していた運転手さん、名前は分かりませんがありがとうっ!(泣く!)


◆ 2009年6月4日 「四国7」

ふと気が付くと4人パーティーだったのが20人くらいになっていました。この人らのおかげで予土線は存続して いることは間違いなしです。しかしながら、そんなことを考えている余裕が・・・。

は、はやくぅっ・・・。終点の宇和島駅はまだですかぁ・・・・。はやくぅっ・・・。

駅の付近では民家がこんなにたくさん見えるようになりました。終点の宇和島駅は近いですよねぇ・・・。 きっと、たぶん。お願いだからぁ・・・・。はやくぅっ・・・。

こうして宇和島駅に到着しました。3時間の旅はとっても長かったです。特に「えっ川崎駅」からの後半90分が・・・。

 

宇和島駅ではそんな私を祝福するかのように、こんな巨大なこいのぼりが私を待っていてくれました。 おおおっ、素晴らしい。

 

もちろんこいのぼりの写真を撮る前に、大急ぎでトイレに駆け込んだヌマタイガーでした。

四国予土線の旅 Fin。


◆ 2009年6月3日 「四国6」

予土線連載日記の続きです。

32分の停車後、ようやく「えっ、川崎駅?」を出発した1両のディーゼルカー。大自然の中を進みます。

高知県から愛媛県への境界を過ぎて最初の駅、真土駅。座ったら壊れそうなブリキ板看板の木製ベンチがありました。ああっ、これぞ昭和ですっ。

 

こんな駅もありました。巨人ファンが大声で叫びそうな駅名です。

なんかこの車両の座席モケットの色って、景色と一体化してるよなぁー。

 

そしてこの付近でようやく乗客仲間が2人増えていました。一人は地元の学生、もう一人は登山帰りの女性でした。乗客は自分含めてやっと3人です。主人公1人で始まるドラクエで仲間が増えた時と同じような貴重な思いをしました。だって万が一ここで地震とかによるアクシデントがこの列車に起こり走行不可能になったとしても、鉄路に詳しい運転手さん、人生経験は少ないが地元を熟知している学生、野草の種類や山岳地帯を歩くサバイバルノウハウを知り尽くした登山家がいるんだから、この4人でパーティーを組めば生還できるはずっ!

ということで、終点宇和島まであと1時間です。現在持っていたビール全部飲み干したヌマタイガー、万が一事故発生時の回避策妄想状態になっちょりますけど・・・。

まだつづくよん。


◆ 2009年5月11日 「四国5」

ビールを飲みつつ約1時間が経過した頃ハゲ駅に到着しました。四国には大歩危(おおぼけ)駅や、小歩危(こぼけ)駅という変わった駅名もありますが、この駅名もすごいです。なんてったってハゲ駅ですから。ホームを覆うように、こんなに木々が茂っているのに・・・。

 

ビールとともに更にディーゼルカーは進みました。

江川崎駅に到着です。この駅ではこのディーゼルカーは32分も停車します。そうです。ここまでいくらビール飲んでいてもトイレ休憩ができる駅なんです。首都圏の京浜東北線が川崎駅で32分停車したらものすごく苦情が殺到するような気もしますが、ここは四国の「えっ、川崎駅?」ですから・・・。

 

無人駅なので外に出て30分間遊ぶこともできます。

付近に咲く花の写真やらを撮って遊んでいたらマイクロバスがやってきました。乗客が誰も乗っていないバスは駅前を旋回してそのまま戻ってしまいました。ディーゼルカーには誰も乗っていなかったんだから、当然バスに乗る人も無く・・・。

次回日記につづく。


◆ 2009年5月8日 「四国4」

宇和島行きのデーィゼルカーは緑と青空の中を進みます。

程なく土佐大正駅に到着しました。大正時代にできた駅なのかな?(ウソです。昭和49年開業駅です。)

 

あーー、でもこの付近ってば、こんな景色が視野全体に広がるんですよー。写真ではほんの一部しか表現できないので残念ですが、列車の中から窓にくっついて見ていると、これが視野全体に広がって見えるわけで、景色はもとより光の加減とかもどんどん変わっていくんです。

 

ディーゼルカーは鉄橋とトンネルを繰り返し通り過ぎます。刻みよいレールの音と心地よい振動と共に。

 

そして次の駅は土佐昭和駅。あれ、さっきは土佐大正駅だったような・・・。次の駅は土佐明治?それとも土佐平成?

 

・・・まるで子供のように前後左右の車窓からデジカメのシャッターを切り続けるヌマタイガーでした。

だって、乗客が他に誰も・・・。

予土線大丈夫か?私一人を運ぶためにこの区間をディーゼルエンジンうならせてくれています・・・。絶対赤字だろうなこの区間。でも路線両端付近では朝夕利用者が多いから大丈夫なのかな?ぐびぐび。ぷはぁー。ビールうまい!やりほうだいのヌマタイガーでした。列車にトイレ無いけど。

次回日記につづく。


◆ 2009年5月2日 「四国3」

久しぶりの連載日記です。今回は昨日に続き四国旅行の3回目です。

ビールとつまみを買い込んで乗ったディーゼルカーはやはり2ドアのロングシートでした。座席が20メートル並んでいます。でもロングシート中央には「どーぞビールでも飲んでください」と言わんばかりにテーブルとゴミ箱が付いていました。これでこの後宇和島までの長〜い3時間はビール付き至福旅行とあいなりました。トイレは付いていないけど・・・。

ディゼルカーは四万十川に沿って進みます。

 

ほどなく打井川駅に到着しました。無人のいかにもローカル駅です。

 

1日に7往復しか通らないこの駅。1時間くらいのんびり座っていたくなるようなホームベンチでした。

 

この駅を利用する人って何人いるのかな?片側は山になっているので、民家は赤い橋を渡った四万十川の対面にある7件程度です。う〜ん、いとをかし。

 

Wikipediaの打井川駅解説によると「1面1線の無人駅でホームに待合所があるのみである。当駅はかなり道路などから見て高い位置にあるのでホームに行くには階段を上らねばならない。その階段はがけにへばりついたようなくねくね曲がったものである。」とだけありました。

う〜ん。確かに。

次回日記につづく。


◆ 2009年5月1日 「四国2」

昨日の日記の続きです。

早朝高知から鉄道で行ける最東端の奈半利まで行ってから高知に戻り、更に西方向へ移動しました。

ここは高知から西に50km離れた窪川。四万十川支流の吉見川です。4/27ですが、こいのぼり準備万端のようです。写真では小さく見えますが、両端のこいのぼりは下から見ると迫力ありました。

 

更に高知県を西に移動しました。宿毛(すくも)付近に流れる松田川にもこんな大規模なこいのぼりがありました。すげー。どうやって山の上からこんな広い川をまたいでこいのぼりを掛けられたんだろう?是非機会があったら立ち会ってみたいものです。しかしこの風景は圧巻です。

 

宿毛で食べた饂飩が実においしかったです。空気が乾いていたからかなぁー?こうして一旦東の窪川に戻りました。

空気はおいしいし、どこを見ても自然絶景なこの付近。しかもこの後は宇和島までは超ローカル線である予土線での3時間の旅です。予土線は1日に7本しか列車が無いので、窪川で1時間待ちです。ビール飲みたいな・・・。飲みながら3時間かかる宇和島まで行きたいな。でもこれから乗るこのディーゼルカーはロングシートみたいだなぁー。ローカル線だけどここは1両だから混む時は都会の通勤電車みたいになっちゃうこともあるよなぁー。窪川駅では乗りそうなお客さん誰もいないけどなぁー。どーしよっかなぁー。

窪川売店で本当は買いたいビールを無視しましたが、ここでしか買えないものすごくおいしそうな加工された魚がっ。

ヌマタイガー「これください。」

窪川売店のかーちゃん「飲み物は?」

ヌマタイガー「じゃ、じゃぁビール」

結局ビールも買ってこのディーゼルカーに乗り込みました。

 

次回日記につづく。


◆ 2009年4月30日 「四国」

一般的な5月連休直前が地方への交通機関は空いていると思い四国一周旅行に行ってきました。4/25の夜に寝台特急サンライズ瀬戸で高松へ、到着した4/26の朝から琴平電鉄全線を乗りまくってから高知へ。鉄キチ巡業に満足したその後は、夜の高知城に。赤信号がじゃまでしたが、こんな雰囲気でした。あー、赤信号さえ隠せば”いとをかし”。

このあとビジホテにチェクインしてから近所の居酒屋で夕食。まだ夜9時ころだったので、ちょいとカラオケが歌える安いスナックを探してみました。ありました、ありました、こんな楽しいお店が。あっはっは、偶然居合わせた歌好きなおとーさんと顔からして親子状態になっていました。

しかしながら、この安いスナックは宿から結構離れています。よっぱのまま1kmほど離れているビジホテにたどり着けるのか?これは歩きながらデジカメで撮影した風景です。ビジホテへの曲がり角を間違えて、すっとんきょうな方向に歩いた果ての場所です。よっぱでも、証拠を残そうとデジカメのシャッターはちゃんと押しているようです。

 

更にちゃんとした食事を朝からしていなかったので、おなかが空いてよっぱのまま途中で蕎麦を食べたようです。これが証拠写真です。デジカメには撮影時間が残っているので、後でよっぱの自分が何をしたか確認できます。

こうして、四国到着後、高知での一泊は過ぎました。(つづく。)


◆ 2009年4月21日 「忍者の里」

ここは伊賀です。伊賀といえば忍者の里です。伊賀では忍者の格好をしてさえいれば柵を乗り越えようとも、柱に抱きつこうとも怒られることはありません。そもそも忍者といえば他人の家の塀を勝手に乗り越え、勝手に屋根に上り、勝手に道に撒菱を撒き、危ないっちゅーのに人に向かって手裏剣を投げたりもするのが当たり前なのですから。そう、こんなことは大したことありません。公共の場所ですけど・・・。


◆ 2009年4月9日 「うん○」

日本の中枢地帯にある有名なこれ。

これって何?

あれか?

これは”うん○”なのか?アイスクリームなのか?ビールのオブジェなのか?そうでなければ後ろのとんがった部分は一体どこを指しているのか?宇宙創生の神秘がある場所を指しているのか?

だ、誰か答えを教えてください。でもその答えが本当であっても、つまらない内容だったら私個人的には納得しません。もちろん却下です。ねぇ、これは絶対”うん○”だよね。夜でも。


◆ 2009年4月8日 「ハトの乗車」

ハト親分「着いた着いた。くっくるー。」

ハト子分「いやぁー、楽だったっすね。」

ハト親分「ここから降りればいいんだよ。」

ハト親分「よいしょっと。」

ハト子分「親分、これ何っすか?」

ハト親分「バカ、あまりウロウロするんじゃねぇ。」

ハト親分「改札はあっちだ。キップ持ってねえからバレねえようにすり抜けるんだぞ。」

ハト子分「親分、ちょ、ちょっと待ってくださいよー。」

ハト大親分「バカなやつらめ。電車はこうやって乗るもんだ。くっくるー。」


◆ 2009年4月7日 「ネコ舌」

”ネコ舌”といえば、舌の感覚が熱いものに弱い人間に対しての比喩でよく使われます。熱いものをネコに与えたことが無いので本当に熱いものに弱いかはわかりません。(<-でも間違いなく弱い気がします。)

ネコとは長い付き合いなのでその習性は良くわかっているつもりでした。ネコ舌はもちろん食事にも使いますが、嗅覚 の補助や、食べ物の固体の認識の他、気持ちよく自分の毛づくろいをすることや、子育てにも良く使います。

そんなネコ舌を観察してみました。

 

すげー。鼻にまで舌が届いてやがる。

鼻の穴まで届くかどうかマネしてみましたが1センチ以上届きませんでした。・・・・負けた・・・・。


◆ 2009年3月10日 「ホラー」

私の左足の小指の爪は異様に幅が太く、何十年もの間普通の爪切りでは、挟めないので切ることができませんでした。一方右足の小指の爪は他の爪とほぼ変わらないので、いつでも爪切りで切ることができます。

かつてはそんな左足の小指の爪を薄くしようと、爪切りの裏に付いているヤスリ?を使ってゴシャゴシャ削っていました。しかしこの作業はとてつもなく長い時間を要する上に、手が疲れます。もっと楽な方法は無いか・・・・。

試行錯誤を数年間、私の左足の小指の爪は長さと幅が同じくらいになって、更にどす黒い塊のようになってしまいました。見るからに汚いです。

我が家には仕事で銅線ケーブル切断するために使う使い慣れたニッパが1個だけありました。銅線ケーブルと太くなった爪は同じような硬さだ。じゃあこのニッパで爪も切れるかな。そう思いました。そんなニッパは実は15年ほど前に使っていたもので、オイル等での手入れをまったくしていない代物です。さすがにニッパを開くためだけに、ある程度の力が必要になっていました。もちろん切る時も力を入れないと動きません。

しかし、この汚い左足の小指の爪を処分したい!

こうして古いニッパで太くなった左足の小指の爪を挟んで、右手に少し力を入れました。ああ、爪切りと違って、刃先の上下の太さがあるので、爪の根元から45度上方に剥がれそうな感覚がっ。

ええい、ままよ。

 

バチンッ!!  バキッ!    ぶしゅうぅぅぅぅーーーー。

 

ああっ、爪もろとも指の皮膚も一緒にスプラッター・・・。しかも仰角45度で切れて発射された爪の太い片割れは障子も貫通・・・・。

左足の小指の爪の残った部分からは赤い液体がじわじわと・・・。うう。


◆ 2009年2月23日 「夜景」

日曜日に10:30-13:30の予定で会社に出勤しました。明るい時間に終わるので、その後鉄道写真を撮りに行く予定でした。でも私の仕事はなかなか終わらなく18:00を過ぎました。もう真っ暗です。ちっ。

18:00を過ぎて、ビルの中の他の社員はみんな帰ってしまいましたが、私の仕事はまだまだ終わりそうにありませんでした。だだっ広い高層ビルの一角に一人っきりで残っていました。延長延長で仕事を続けていたので、お腹も空いてきました。20:00を過ぎた頃、私の頭の中で誰かが叫びました。

「ネガティブに考えていてはいけない、楽しんでしまえ!」

そうだっ!デジカメがあるんだから・・・。普段は社内が明るいので窓越しの写真は光の反射があるけど、今なら比較的暗いし。

こうして職場の窓から夜景を撮ってみました。東京タワー方向と新幹線方向です。右の画像は横に伸びる細い光が新幹線です。

 

デジカメでちょっとだけ遊んでみたので、少しだけ幸福度がUPしました。


◆ 2009年1月7日 「九州」

はやぶさ+富士で九州に行ってきました。博多の天神で3泊しました。気温はほぼ東京と同じくらいで、外を歩くにはコートかジャンバーが必要な寒さです。

中洲の春吉橋に行ってみると。何やら川の中で動くものが・・・。

うはっ。冬なのに。財布落としたのかな?

 

この不思議な光景を見ていたおばちゃんと一緒に、こんな写真を撮っていたら・・・。

 

川の中のおっちゃん「あさりーー!!」

 

とのことでした。


◆ 2009年1月2日 「新年」

あけましておめでとうございます。ということで新春まちがいさがしコーナー。

左右の画像は30秒ほどの時間差で同じ場所から撮影したものです。1箇所だけ決定的に違う場所があります。どこでしょう?

 


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