弘南鉄道特設ページ(画像提供:Othumさん)


このページの全ての画像は、弘前在住Othumさんから送っていただいた弘南鉄道画像集です。

-弘前画像その1-

津軽大沢駅構内

元南海電鉄の1521系。昭和初期南海電鉄も国鉄から譲渡されたこの車輌、もともと旧形国電だったため、あの懐かしい吊りかけ駆動の頼もしいモーター音をうならせて走る貴重な存在の車。しかし車体は放置されたままで、ここ数年一般運用されていないらしい。外観が痛々しい。

-弘前画像その2-

大鰐発弘前行き 「- 津軽石川駅を出てすぐの踏み切り」

当時超軽量車体をめざした東急車両(昭和初期、ドイツと提携して日本初のステンレスカーを製造)が開発した名車の後継車。試作車は「ユタンポ」というあだ名の名車。その名車の足回りを一掃し、更に軽量化を果たした車輌だ。もともと東急東横線の主力車で6連で走っていた。当初は赤帯がなく全身ステンレス色だった。

-弘前画像その3-

大鰐駅構内 「- 待機中の車両。北口からの撮影」

東急が日本初ステンレスカー試作車の次に製作した6000系。この車輌まではステンレスは外観だけの「セミステンレスカー」と呼ばれるタイプだ。東急はこの後米バッド社と提携してオールステンレスカーの7000系を登場させた。横のギザギザ線は車体を丈夫にするための工夫。(今どきのステンレスカーは技術が進歩したので見られない )

-弘前画像その4-

大鰐駅構内 2 「- 南のJR側から撮影。手前がJRのホーム」

発車を待つ7000系。一番奥の車輌は引込み線で待機する6000系。

-弘前画像その5-

津軽大沢駅構内 2 「- 路線のほぼ中間にあって車両基地になっている。」

南海出身の1521系と東急出身の6000系が揃って停車している。

-弘前画像その6-

大鰐駅構内 3 「- 放置された車両。手前はJRの領分」

左の車輌は両運転台で四枚窓、屋根の通風孔が四角いことから、元京急のデハ400が譲渡され、改造されたモハ108だと思われる。東京から最も近い距離の海水浴場を沿線にもつ京急の特徴は、お客さんが海をよく見わたすことができるように窓が大きく作られている。右の車輌より窓の下部が低くなっているのが分かる。パンタグラフが見えないが撤去されたのでは?右の車輌はドアの雨どいの形、運転台のドアと最右のドアの位置が並んでることと、6枚窓、屋根の通風孔が丸いことから、もともと西武鉄道のクハ1267で あろう。とってもレトロな車体だ。

-弘前画像その7-

放置された車両 「- 手前のレールはJR。弘南鉄道の線路は左の住宅街の中」

この車輌は屋根が丸みがかっているのと、幌の無い貫通扉、前面3枚の窓の形、塗装からして車輌番号1122型であろう。もともとは西武鉄道の車輌だ。弘南鉄道は東急、西武、南海、同和鉱業小阪鉄道からの払い下げ車輌が多い。小阪鉄道からの車輌は電化されていない黒石線用の気動車だ。黒石線は国鉄民営化に伴い弘南鉄道が国鉄から引き取った路線。しかし1998年に廃止され、終点の黒石までは現在バス代替輸送となっている。 2003年11月には右の画像のように1122型は居なくなった。

 

-弘前画像その8-

弘南線の画像

元南海車輌と元東急車輌。南海車輌は放置され、あちこち塗装が剥げている。痛々しい。

  

-弘前画像その9-

弘南線の画像2005年8月

弘前画像その8と同じ黒石駅の画像。やはり現役を引退した車輌は痛々しい。

-弘前画像その10-

究極のラッセル車

黒石駅で冬に向けて夏眠しているラッセル車。少しサビているが、後ろには機関車が連結されている。冬になると活躍するのであろう。

ラッセル車を正面から見ると昔のSFロボットみたいだ。なんか手足が出てきてガチャコン動き出しそうな気が!

-弘前画像その 11-

冬の黒石駅構内(2005年12月)

全国的寒波到来のため除雪作業に忙しい黒石駅構内。

右側の車輌は休車扱いの元南海車輌。車輌の傷みが早い理由が分かるような画像だ。

-弘前画像その 12-

大鰐線石川橋梁(2010年11月)

JRかもしか号との遭遇。

 

Special Thanks to Othumさん!


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