関東1(茨城・千葉)


◆日立電鉄◆

鮎川-常北太田を結んでいた18.1kmの鉄道。晩年は赤にグレー+白の車輌が主力だったが経営悪化のため1995年に廃止された。電鉄名の由来は日立製作所から来ている。

【路線図】

路線は起点鮎川からJR常磐線に沿って南南西へ、ほぼ中間点の大甕(おおみか)の先で急に北西に向きを変える。終点の常北太田(じょうほくおおた)駅はJR水郡線の常陸太田駅に隣接した場所にあった。

【車輌】

オレンジ色の小型車が多かったが静岡鉄道からの車輌も活躍していた。

 

▲静岡鉄道から移籍の100形。静岡鉄道の表示幕の為か、行き先表示を空白にして運転していた。

▲100形と同様に静岡鉄道から移籍の351形。

▲引込み線だが5連というのが楽しい。営業運転では1-2輌で走る。

 

▲元ガソリンカーのモハ13形。バス並み小型車体の様子がわかる。

 

▲モハ9形とモハ11形。


◆茨城交通◆

勝田-阿字ヶ浦を結ぶ14.3kmの鉄道。終点付近には阿字ヶ浦海水浴場や磯崎漁港などがある。

【路線図】

茨城県中央東部に位置する勝田から南東に路線は延び、那珂湊(なかみなと)から角度を変え太平洋に沿い北上し阿字ヶ浦へと続く。

【車輌】

当時は元国鉄のキハなどが主流だったが、現在の車輌は新型の気動車で運用されている。

 

▲塗装変更前後のキハ1000。

 

▲塗装変更前後のキハ22。

 

▲バス窓キハ11と自社発注ステンレスカーのケハ601。


◆鹿島臨海鉄道◆

水戸-鹿島サッカースタジアム53.0kmを結ぶ第三セクター鉄道。

【路線図】

大洗鹿島線は茨城県南東部を鹿島灘に沿って南北に延びる旅客路線。鹿島サッカースタジアム駅はサッカー開催日のみ営業だが、列車はJR鹿島神宮まで乗り入れている。 終点の鹿島サッカースタジアムから先の工場地帯の奥まで貨物専用の鹿島臨港線もあり、コンテナ輸送も盛んだ。鹿島サッカースタジアム駅はもともと北鹿島駅といい、現在の貨物線区間を使用し鹿島港南まで旅客営業も行っていた。この区間の旅客営業は1983年に廃止された。

【車輌】

赤く塗られた気動車により運行されている。

 

▲開通当初の車輌。2000形と6000形。2000形は国鉄キハ20の改造車。

▲元国鉄キハ10の1000形。


◆鹿島鉄道◆

1979年に関東鉄道から分離した石岡-鉾田27.2kmを結ぶ非電化鉄道。現在の車輌には新型レールバスも投入されているが、収益悪化による廃止が危ぶまれ、2001年に鹿島鉄道対策協議会が発足している。

【路線図】

JR常磐線の石岡から霞ヶ浦の北側を経由し、鉾田へとつながる。終点の鉾田駅は鹿島臨海鉄道の新鉾田駅から800メートル程度離れた位置にある。

【車輌】

当時はオレンジ色の気動車だけで運行されていた。現在はレールバスも導入。

 

▲旧国鉄のキハ600形とキハ712形。

▲車庫に停留中のキハ410形。


◆筑波鉄道◆

茨城県の土浦-岩瀬を結ぶ40.1kmの鉄道。筑波鉄道は1965年に関東鉄道に吸収されたが、1979年に筑波鉄道として再度独立。しかし経営悪化が続き1987年に廃止された。筑波鉄道のキハ048はつくば市吾妻にあるさくら交通公園に静態保存されている。

【路線図】

筑波山の西側裾野に路線は延び、東側車窓からは筑波山を望むことができた。

【車輌】

オレンジに塗られた気動車により運行されていた。

 

▲元国鉄のキハ460形と、自社発注のキクハ11形。

▲自社発注キハ500形と元雄別鉄道のキハ810形。

▲元江若鉄道キハ810形。


◆関東鉄道◆

茨城県南部の取手-下館間51.1kmを南北に結ぶ 常総線と、JR常磐線の佐貫-竜ヶ崎間4.5kmを結ぶ竜ヶ崎線の2路線からなる非電化の鉄道。鹿島鉄道や現在は廃止となった筑波鉄道も一時期は関東鉄道の路線だったため、それぞれの鉄道車輌は酷似している。

【路線図】

 常総線の取手-水海道(みつかいどう)以外の区間は単線となりローカル色が強い。

【車輌】

オレンジ系の気動車で運行されているが、広告車も導入されていた。

 

▲キハ0形ペイント車と一般色車。

 

▲元国鉄のキハ610形と自社発注車のキハ800形。

 

▲キハ300形と元小田急のキクハ1形。

▲キハ500形。筑波鉄道や鹿島鉄道と同一形式の車輌が多い。

 

▲元小田急のキハ751形。3扉中2箇所の扉は車体外側に開く。


◆銚子電鉄◆

千葉県最南東の銚子-外川間わずか6.4kmのミニ私鉄。 沿線には醤油工場があり、ぬれ煎餅が名物となっている。起点銚子には銚子港、終点外川には朝市があり、銚子市は”魚のまち、醤油のまち”としてアピールしている。

【路線図】

銚子から犬吠崎へとJRを延長したような路線。

【車輌】

小さな電車が1時間に2、3本運転されている。現在の車輌は濃茶+赤のカラーとなった。

▲700形(701)。車体の小ささが覗える。

 

▲700形(702)と300形。当時は赤+クリーム塗装の車輌だった。


◆小湊鐵道◆

千葉県西部の五井から養老川に沿い、上総中野 (かずさなかの)まで39.1kmの路線をキハ200形が往来している。小湊鐵道沿線には自然の宝庫である養老渓谷がある。五井機関区ではかつて走っていた蒸気機関車が保存されている。

【路線図】

終点の上総中野で大原まで延びるいすみ鉄道に接続しているため、東京湾側から太平洋側へと房総半島を縦断できる。

【車輌】

上部2照灯スタイルのキハ200により運行されている。

▲現在も主流のキハ200形。昔ながらの小湊鉄道の顔だ。

▲車庫中央の車輌は元三信鉄道のキハ5800形。

 

▲キハ5800形と保存されている機関車。


◆総武流山電鉄◆

千葉県北西部の馬橋(まばし)-流山を結ぶ5.7kmの通勤路線。元西武車輌がカラフルに行き来していた。現在も元西武の次世代車が同様のカラーを施して走っている。 流山市には新撰組の近藤勇陣屋跡がある。流山駅から東に1キロの場所には開通したばかりの、つくばエクスプレス流山セントラルパーク駅がある。

【路線図】

【車輌】

派手なオレンジ色の車輌に統一されていたが、1300系導入時から編成ごとにイメージカラーを塗り分けるパターンに世代交代した。それぞれの編成にはヘッドマークが付いている。

 

▲1300系なの花、流馬号。

 

▲1300系流星、銀河号。

▲1300系若葉号。

 

▲元京急400形を改造したモハ1100形と、元西武のクハ51形。元々はオレンジの派手な車輌だった。当時は1300系が主流で、オレンジ色の旧型車は流山車庫で廃車を待つ運命だった。


◆新京成電鉄◆

千葉県北西部、松戸-京成津田沼間26.5kmを結ぶ準大手私鉄。社名からしても京成電鉄の一支線的な要素の鉄道だが、自社発注の車輌が多い。

【路線図】

北総開発鉄道開通当初一時期は、北初富から北総線の小室方面へも乗り入れていた。路線の中間地点には鎌ヶ谷大仏という駅があり、駅のそばに大仏も実存するが、その大きさは たったの1.8メートル。

【車輌】

赤+クリーム色の京成カラーがスタンダードだったが、クリーム色+茶色帯スタイルが登場した。

▲新京成線で初めて両開きドアや冷房装備を導入した当時斬新だった8000形。あだ名は”たぬき”。

 

▲元京成100形とくぬぎ山行きヘッドマークの700形。当時の旧型車は車体幅が異なる編成が多かった。

 

▲新塗装と旧塗装の800形。


◆北総開発鉄道◆

現在は北総鉄道として京成高砂-印旛日本医大を結んでいる。

【路線図】

新京成線北初富から小室まで先行開通した当初は松戸から小室まで新京成線と乗り入れていた。後に京成高砂まで西に延伸、東は都市住宅整備公団線が開通し、京浜急行-都営-京成-新京成-公団の5社乗り入れが実現した。現在は北総開発と公団線が北総鉄道として1社化された。今後は成田空港まで延伸予定。

【車輌】

前面が独特のカットを持つステンレスカーが主体。

▲新京成と直通当時の松戸行き7000形。

▲京急からのリース車。7100形の形式名が付けられていた。


◆住宅都市整備公団◆

北総開発鉄道の小室から東方向の千葉ニュータウン中央まで延伸した鉄道。自社発注車も持ち、運営は北総開発鉄道に委託していたが、現在は北総鉄道として統一されている。 当時の沿線一帯は大規模な千葉ニュータウン開発計画があり、社名から鉄道整備事業も密接に関わっていたことが分かる。 現在は更に東へ延伸し、印旛日本医大まで開通している。

【路線図】

北総開発鉄道の延伸部分を短区間開通させたが、その後北総開発鉄道と統合し、現在の社名は北総鉄道となっている。

【車輌】

黄緑+オレンジ帯のステンレスカー。

住宅都市整備公団9000形。この後公衆電話付き9100形C-flyerも登場した。(現在公衆電話は撤去された)


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