東北1(青森・岩手・宮城)


◆津軽鉄道◆

青森県津軽半島を南北に結ぶ ストーブ列車で有名な鉄道。冬季のストーブ列車の他、夏季には風鈴列車、秋季には鈴虫列車などが運行されている。

【路線図】

起点の津軽五所川原駅はJR五所川原駅に隣接し、津軽中里まで20.7kmの路線を持つ。

【車輌】

クリーム色+オレンジ色の気動車、客車により運行されていた。客車牽引はDL。

▲キハ2400形。

▲バス窓スタイルのキハ11形。

 

▲オハフ33と二重屋根のオハ21。

▲ナハフ1200。


◆弘南鉄道◆

青森県の弘前から北東の黒石までを結ぶ 弘南線、弘前から西に1キロほどの場所にある中央弘前からJR奥羽本線に沿い南東方向にある大鰐(おおわに)を結ぶ大鰐線、川部-黒石を結ぶ黒石線の3路線があった。地方私鉄ながら快速も運転されている。

【路線図】

非電化の黒石線は1984年に国鉄黒石線を譲受した路線だが僅か4年後の1998年に廃止された。

【車輌】

クリーム色+茶系の車体に統一されていた。

 

▲元国鉄17形と快速クハ16形。

 

▲元東急3670形と元国鉄2250形。

 

▲両運転台の100形と元東急3400形。

 

▲元国鉄16形と元西武クハ1266。

 

▲元国鉄11形とクハニ1271形。

【気動車車輌】

▲廃止された黒石線の車輌。元国鉄キハ22。


◆下北交通◆

下北半島北部の下北-大畑(おおはた)を結ぶ18.0kmの1985年に開業した鉄道。下北交通大畑線は2001年に廃止されたが、当時の列車は大畑線キハ85動態保存会の手により、旧大畑駅構内で動態保存されている。

【路線図】

元国鉄大畑線を引き継いだ路線。 路線は陸奥湾側の下北から北方向の津軽海峡側へと延びる。

【車輌】

クリーム色+赤のキハ85により運行されていた。キハ85は元国鉄のキハ22。

 

▲旅客営業時代のキハ85。


◆南部縦貫鉄道◆

レールバスで親しまれた地方鉄道。1997年に休止、惜しくも2002年に廃止された。 現在旧七戸駅でキハ100形2輌とキハ104が南部縦貫レールバス愛好会により動態保存されている。

【路線図】

青森県東側内陸地に位置する野辺地-七戸を南北に結んでいた20.6kmの鉄道。

【車輌】

レールバスと気動車により運行されていた。

 

▲七戸駅でDD451と混結のキハ104。

 

▲有名なレールバス、キハ100形。運転台は車体中央に配置、クラッチ式。


◆十和田観光電鉄◆

青森県東部の 三沢から稲生川に沿って東の十和田市を結ぶ14.7kmの鉄道。

【路線図】

 

起点の三沢から北に4キロほどの場所には三沢空港がある。終点の十和田市から先の西方面には十和田湖、八甲田山を始め、多数の温泉郷がある。十和田市は観光の他にも農業や畜産業、林業、水産業が盛んな地だ。

【車輌】

当時はクリーム色+赤の車輌により運行されていたが、現在はステンレスカーが導入されている。

 

▲1200形と3800形。現在は元東急ステンレスカー中心の編成となっている。

 

▲4400形とED401機関車。


◆三陸鉄道◆

1984年に開通した日本初の第三セクター路線。北リアス線と南リアス線の2路線がある。

【路線図】

現在はJR山田線を経由して直通運転も実施している。路線名の通り、岩手県の三陸リアス式海岸に沿って北と南に路線がある。国鉄時代は盛-吉浜間の盛線、宮古-田老間の宮古線、普代-久慈間の久慈線という分断された路線だったが、2箇所の未開通区間を開通させ三陸の鉄道を全て接続させた。

【車輌】

当時新造された気動車が走っていたが、現在はレトロ車輌によるイベント列車も走る。

▲開通時の北リアス線36形。

▲南リアス線。当時の車輌形式はこの36形のみだった。


◆岩手開発鉄道◆

岩手県太平洋側の盛-岩手石橋を結ぶ11.5kmの鉄道。旅客営業は1992年に廃止となった。

【路線図】

貨物専用区間の赤崎線もあった。現在は日頃市線を含み貨物営業のみが行われている。

【車輌】

石灰石輸送を主とする鉄道だが、旅客車輌の運行本数は極めて少なく、1輌のキハが一日に3往復しているだけだった。一方貨車輸送は盛んで、石灰石を積んだ長編成の重量のある貨車が頻繁に行き来するため、路線は綺麗に整備されている。

▲キハ202。自社発注車輌。

▲元夕張鉄道キハ301。旅客用の予備車。

▲車庫のキハ301の脇を走りぬけるキハ202。


◆栗原電鉄◆

宮城県東北部の石越から東方向の細倉までを結ぶ25.5kmの鉄道。終点付近にある細倉マインパークは、閉山された細倉鉱山の資料館や坑道跡を使ったアドベンチャーゾーンなどからなる施設。

【路線図】

1990年に終点の細倉を0.2km延伸移設し、駅名を細倉マインパーク前と改めたが、経営悪化のため 1995年にくりはら田園鉄道として、第三セクター方式の運営へと変わった。

【車輌】

栗原電鉄時代は電化路線だったが、現在は気動車により運営されている。

▲電化時代のC17形。

▲両運転台のM15形。


バックオーライだよ